由緒・沿革

聖運寺について


宗 派
こうやさんしんごんしゅう
高野山真言宗

名 称
ほうえいざん しんにょいん しょううんじ
宝永山 真如院 聖運寺

開 創

貞観元年(859年)頃

開 基
 りげんだいし   しょうぼう
理源大師 聖宝

本 尊

十一面観世音菩薩(秘佛)
持仏堂本尊 大日如来

理源大師 聖宝によって開基

高梁川に架かる霞橋の東側に標高161.9mの大平山があり、その南西裾に宝永山 真如院 聖運寺があります。

 聖運寺の開基は平安時代前期(9世紀頃)とされています。聖運寺の北に隣接する宝嶋寺(真言宗御室派)は、名僧 寂厳和尚がおられたことで有名な寺院であり、古くからこの一帯は宝嶋寺を中本寺として栄えてきました。西に隣接する慈眼院(高野山真言宗)と聖運寺は、宝嶋寺の塔頭寺院「真如院」として、京都 醍醐寺の開祖、理源大師 聖宝によって開基されています。

 宝嶋寺が開山されたのが貞観元年(859年)のこと。真如院も同じ年、もしくはその後数年の間に創建されたと推測されており、1150年以上の歴史がある寺院である。
 これらの由緒ある3ヶ寺の伽藍がめぐる一帯の様子は、当寺の繁栄ぶりを今に伝えている。

お寺の沿革

貞観元年(859年)理源大師 聖宝により宝嶋寺開山(同時期に「真如院」創建)
宝永元年(1704年)中興 純譽法印により旧客殿再建
元文5年(1740年)頃清意法印により旧観音堂創建(連島西国33観音霊場 第17番札所)
寛政4年(1792年)頃大慧法印により旧庫裏再建
文久2年(1862年)山門再建
昭和16年(1941年)第22世 戒幢僧正晋山
昭和59年(1984年)本堂創建(弘法大師1150年御遠忌記念事業として)
平成4年(1992年)第23世 伸俊僧正晋山
平成19年(2007年)第22世 戒幢僧正遷化
令和元年(2019年)客殿・庫裏・観音堂改築(高野山開創1200年記念事業)
令和2年(2020年)山門改修・納骨堂建立
令和3年(2021年)第24世 永聖僧正晋山